慈永会について
460号 発進塔・選:信義・信頼というもの
掲載日:2024年05月10日
「信頼を回復する為に全力を尽くします」という言葉を最近よく耳にする。それでは以前には信頼というものがあったのかと、つい思ってしまうこの頃である。以前、池田県議後援会の席で青年部の人々にお話ししたことであるが、今回は信頼ということについて少し述べてみようと思う。話は2500年も昔のことである。孔子には3千人の門弟がいたと言われているが、その中に曾子という高弟がいた。彼があるとき孔子に「国を治めるのに大切なものは何ですか」と尋ねたことがあった。孔子は「それは軍備・食糧・信頼である」と答えたという。中国の歴史は「乱」と「治」のくり返しであったし、しかも「乱」の時代が圧倒的に長かったという背景を念頭において考えるとき、いつ外敵に侵略されるかわからないので軍備を整えておかなければならなかったことは得心できる。ただ断っておくが、中国人は基本的には争いを好まないし、それを回避する為には、あらゆる策略をめぐらしたりもする。交渉ごとに於ても日本人みたいに感情的にならず、実に粘り強く行う民族のようである。
ところで、曾子が「どうしてもその3つを維持するのが困難になり、どれか1つ捨てなければならなくなったら、どれを捨てたらいいですか」とさらに質問を続けたところ、すかさず「軍備を捨てなさい」と答えたという。ここまでは凡人にも理解できる話であるが、要は次の間答である。曾子が重ねて「どうしても食糧か信頼の一方を捨てざるを得ない事態にいたったら、どちらを捨てるべきですか」と尋ねたところ、躊躇なく「食糧を捨てなさい」と言ったというのである。この時にいう食糧とは飽食の現代におけるいろんな食べ物というのではなく、生きる為に必要な最低限のものを指している。だから食糧は命に置き換えて考えてもいいのである。食糧を捨てなさいということは、命を捨てなさいという意味になる。「民信なくば立たず」と道徳と政治の結合を孔子は説いている。信というものは社会存立の基礎でありこれが失われればもはや崩壊する他ない。不信にも色々あり社会に対するものから人間関係の不信、肉親に対する不信、組織に対する不信、夫婦の不信など様々であるが、信義・信頼なくして人は生きてゆけないのである。私もお逢いした事があるが、脊髄損傷という不自由と闘いながら創作活動を続けられた星野富弘さんの詩画集に
いのちが一番大切だと
思っていたころ
生きるのが苦しかった
いのちより大切なものが
あると知った日
生きているのが
嬉しかった
という作品がある。2000年4月、星野さんは一度如水館にもおいでになったこともあり、親しくお話をする機会もあった。
今人柄が求められている
今から1400年前の隋の時代から清朝の末まで中国には科挙と呼ばれる制度があった。国を治めるにあたって、優秀な人材を広く中国全土から集める為のものである。1年間に約30人が選ばれたといわれている。これを参考にして日本では、近年になってから上級甲という制度がつくられた。現在の国家公務員一種というものであろう。どちらも難関ではあるが、日本での知識・記憶重視の試験と違って、中国の科挙試験では殆どが道徳とか人格・その人の素養を測るものであったと言われている。優秀であるということは知識ではなく、人徳を言うのである。
(2000.3/273号より)
(なお当時掲載分を今様に加筆してあります)
一貫グループ会長
永野 義孝
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