発進塔

451号 発進塔:虐待

掲載日:2022年11月15日

むごく取り扱うことや残酷な処遇を行うことを虐待という。施設等にあって最近話題になることも多い。身体的に暴力をふるうことだけではなく、処遇においてその態度や言葉によるものも含まれる。言葉による暴力には威圧的に怒鳴ったりすることだけではなく、相手の訴えを聞こえないふりをして無視すること等々精神的なものまで様々である。時には地声が大きくて、相手に曲解されることもあるらしい。だから一つの事象のみでそれが虐待であるのかどうかを判断するのは難しいし、日常的にその人が患者さんにどんな対応をしているかによって判断が分かれることもある。

然しそんな中にあってもこれだけは決して侵してはならない、というものもある。長期入居者の部屋とかベッド周辺がそうである。療養の必要上、本人や家族、場合によっては後見人に説明したのち制約を加えざるを得ないことがあるかも知れない。これは仕方がないがそれ以外は患者さん専有の領域である。

ところで私はこれは虐待にあたると考えた事例が最近2例あった。保護者の役員をしていらっしゃる2名に電話して来訪いただき、事実を申してお詫びをし、ついでにお願いもした。

例を挙げると、個室部屋の向かい側にトイレがあり、入居者は日常それを使用していたのに、コロナのゾーニングの為という理由で廊下を横切ることができないとして部屋から出れないようにしオムツを使用させていたことである。普通の病院と違って重心施設では完治して退院出来る人は殆どなく、部屋はどちらかというとその人の終の住処として提供している場所でもあるという認識が足りない。非常事態とはいえ、生活に制約をかけるには熟考を重ね、本人の理解を得る努力が必要であった。

こんなことは許してはいけないと思い保護者の役員に事実を告げ、この改善策の一つとして保護者の方々に職員の処遇の監視を依頼した次第であった。

当園では入園児(者)の人権を尊重する意味でコミッティ制を導入して久しいが、これがあまり機能していないようだからである。

療育園の管理職には、職員の為にこうして貰いたい、ああして貰いたいと言って来る者は多いが、事業の肝である入園児(者)の為にああしたい、こうしたいと言って来る者が少ない。言葉が話せる入園者や保護者の方々は職員に遠慮してお世辞を言っておられるのではないかと思う。もっと本音をぶつけて欲しい。

生と死の狭間に

終末期の医療や重度重複障害のある施設に勤務する従事者には生と死を継ぐものとしてもっと宗教とか哲学を学ぶ必要があると思う。

欧米の病院では終末期医療に牧師さんが立ち会い、心のケアを行っている。遅ればせながらこれを日本で行ってみては如何だろうか。若し日本の病院で終末期の患者さんをお坊さんが僧衣に袈裟懸けで訪れたら、と想像してみよう。多分来るのが早いと叱られるのがおちだろう。

こう書いているうちに、ふと星野富弘さんの詩にあった一節を思い出した。

  いのちが一番大切だと思っていたころ生きるのが苦しかった

  いのちより大切なものがあると知った日生きているのがうれしかった

という言葉である。

一貫グループ会長
永野 義孝

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