慈永会について
450号 発進塔・選:秋の雲
掲載日:2022年09月01日
朝窓を開けると、ひんやりとした涼しい風が舞い込んでくる。ここ半月の間に、季節は規則正しく確実に移り変わっているようである。空も夏の入道雲から、すじ雲・なみ雲・ひつじ雲・おぼろ雲といった秋のそれに衣更えしている。
秋の雲といえば私には忘れ難い思い出がある。それは、1989年9月のことである。当時、6月4日の天安門事件以降、北京を訪問する外国人は少ない頃であったが、中国衛生部より招待を受け、桂林を経由して北京を訪れた。宿泊した北京飯店の、正面玄関ロビーに扁額(へんがく)にした1枚の絵が衝立にして設置してあった。郭傅璋(かくでんしょう)氏制作による黄山の絵であった。150号(1号は絵ハガキ1枚の大きさ)はある大作で、黄山の頂上附近の岩肌にへばり付いて生える力強い松と、それを浮き立たせている山々の中腹を覆うおぼろ雲を水墨で表現したものであった。不思議なことに私が飛行機の窓から眺めた雲よりも本物の雲であった。しばし近づいたり離れたりしながら魅入った。帰国してからもその絵の事が忘れないでいた。
ところが、3ヵ月が過ぎた頃、張自寛(ちょうじかん)先生から一個の小包が届けられた。先生は医師で、当時医政司々長(日本でいう厚生省の局長)をなさっており、日本語も堪能な方である。4日間の北京滞在中、朝から晩までずっと付き添って案内していただいた。私が絵に魅入っていたのを心にとめていて下さったのであろう。私が北京を去った後すぐに西安在住の郭先生に連絡を取り、制作を依頼して下さっていた。なんでも、郭先生は自宅では狭いからと1ヵ月間ホテルに滞在して絵を完成して頂いたそうで、雲の出来ばえは、「自分が最も満足のいく仕上がりである」という主旨の添書きがついていた。郭先生が風邪を引いてお亡くなりになったというニュースを耳にしたのは絵を受け取る2日前であった。その絵が絶筆になったのである。私は額装したその絵の雲を朝夕に鑑賞している。おぼろ雲である。
誕生日を迎えて
60歳を過ぎた頃から朱子の「未だ覚めず池塘春草の夢、階前の梧葉已に秋の声」という言葉が妙に頭に浮かぶ。「少年老い易く」で始まる詩の後半である。どういう訳か、50を過ぎる頃からは1年の経過が特に早く感じられる。そして今月、私も早いもので65歳の誕生日を迎える。考えてみると、人は20歳位までは誕生日になるとおめでとうと言葉をかけられる。将来を期待してのことであろう。そして古稀を迎える頃からは、苦労の多いこの世を長く生きて来ましたと尊敬の念を込めて祝福される。だがその中間の50年間というもの、言葉は同じでも意味合いはかなり違っている。ときには同情や慰めであったりもする。年齢は若い方がいいと思い込んでいるのであろう。そんな時私は決まって「今からがいい年齢です」と言い続けてきた。自分を総合的に見て、今が一番充実していると考えるからである。決してやせ我慢ではない。それに若返って今までの苦労を繰返すのは御免であると考えるからでもある。そして、今後は仕事ではなく自身の為に余生を楽しみたいと考えている。
11月には現在建築中の陶芸研究所も愈々完成する。同好者と一緒に楽しみながら「黄昏を夕映え」にしていこうと思ったりしている昨今である。
(2001.9 / 291号より)
※世相も気候も随分変わっていますけど、昔を懐かしんで掲載してみました。
一貫グループ会長
永野 義孝
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