慈永会について
447号 発進塔・選:功の崇きはこれ志 業の広きはこれ勤
掲載日:2022年03月01日
「功の崇(たか)きはこれ志」とは、立派な業績をあげる為には、その前提として、「志」がなければならないという意味である。
それでは「志」とは何かというと、目標を設定することに他ならないと思う。ただ目標といっても、一年とか二年というごく短い期間に達成できるような目標では「志」とは言わない。個人の目標であれば、十年とか二十年、或いは生涯かけてやっと達成可能な目標を掲げ、かつそれに加えて、実現しようという意慾が漲(みなぎ)っているとき、それを「志」というのである。事業などにおいては、もっと長期の目標を立てるのが普通であるが、そういったものが立派な業績をあげる前提なのである。
次に「業(ぎょう)の広きはこれ勤」とは、事業を拡大する鍵になるのは「勤」であるという意味であり、「勤」とは勤勉とか精を出すとかいう事である。リーダーであれば率先垂範とでもいったらいいだろう。
くり返しになるが長期的な目標を設定し、意慾をもって努力しなければ立派な仕事は成就出来ないというのが表題の言わんとするところである。
これは「書経」という中国古典にでてくる言葉であるが、もともと夏・段・周の時代に史官によって書かれた三千余編に孔子が手を加えて百編にまとめたものと言われている。ともあれ二千五百年も昔のものであるが現代においてもなお大いに教訓になる言葉である。
方向性を間違えない事
目標を設定するうえで大切なことがある。それは進むべき方向を間違えないことである。方向が間違っていると、努力すればする程かえっておかしな事になる。そこで法人においては、職員が方向性を間違えないように道標を示している。それが経営理念というものである。だから管理職にある者が自分の部所の目標を設定する場合にあっても、この道標から逸れることがないように心掛ける必要がある。
ところで今は「志」ということから長期的目標について述べているが、決して短期的目標が不要という気持ちはないので誤解がないようにして貰いたい。さらに「志」と「勤」とは車の両輪の関係にあるが、特に「勤」には注意しなければならないことがある。それは管理職である者が部下に適正な指示や指導をするでもなく、自分だけが頑張ったつもりでパタパタ動き廻り自己満足しているように見受けることがしばしばある。管理職の「勤」とは、どうすれば全体の頑張りを引き出せるかを考えるところにあり、自分自身が動き廻るのは決して手段であって目的ではないことを肝に銘ずべきだと考えている。
(1998.2 / 248号より)
一貫グループ会長
永野 義孝
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