慈永会について
446号 発進塔:謹賀新年
掲載日:2022年01月01日
明けましてお目出度うございます
皆さんはどんな念(おもい)で新年を迎えられたでしょうか。私達のように医療や福祉に関わる仕事をしている者にとっては昨年、一昨年と感染予防対策や万が一に職員や入院、入園者に感染が拡大した場合を想定し、その対応や訓練に頭を休ます暇もない程の日々が続きました。何か美しいものを観て感動したり、癒されたりとか、或いは愉快な楽しい事柄に感動したり、熱狂するとかもあまりなく、諦めたり、我慢したりの日々が多かったように感じた人が多かったのではなかったでしょうか。加えて親しい友人や家族に重い病気が突然見つかったり、不幸があったりと世の不条理を嘆き、悲しみに耐えた方も多かったのではないでしょうか。
私は昨年の十月頃まで、来年こそはと考えていました。しかし、昨年暮れから又候(またぞろ)新型コロナの新しい変異株が出現し、デルタ株の五倍の感染力で世界中に拡散し、やがてそれに置換わる勢いのようです。総感染者数は世界中で三億人に近づいています。私達の従来の予防や対策では最早防ぎようがありません。総ての人々が自身の罹患を覚悟しなければならないかも知れません。
ただオミクロン株に関しては少しだけ明るい情報もあります。それは感染力は非常に強力であるけど、ワクチンを三回接種していれば重症化リスクをかなり抑えることが出来るという事が判ってきているからです。ひょっとしたら、通常のインフルエンザ位で済んで了うかも知れません。
しかし、これらの情報は未だ疫学的に確立されたものとは言えませんので、私達としては、まずは従来通り感染予防に充分心掛けることが求められます。ただ、これから愈々本格的な寒さが到来します。空気もより乾燥する季節になります。ウイルスが最も活発になる季節です。治療薬の開発、配布が進みつつあるようですので、希望を持ってしかし注意深く前へ進みましょう。
地の利
私は熊本に行った帰りには毎度のように天草、特に苓北は遠いなあと思います。そして続いて療育園に子供を入園させている親御さん達は見舞いに来られるのに大変だろうなと気の毒に思ったりもします。加えて、こんな遠い施設に子供を預けていて、子供に申し訳ない気持ちでおられるかも知れないと考えたりもします。療育園をこの地に設立したのは、この地が温暖で無霜地帯であり景観もいいからで、天草を福祉の島にしようという想いがあっての発想でした。しかし今になって保護者の方の年齢等を考えると、それが良かったのどうか若干疑問も生じる所でもあります。さらに親というものは子供を長期に入院させているだけで子供に負い目を感じたりするものです。だからそれを打ち消すだけのものが療育園には求められるのです。父母の方々が自分の子供を療育園に入園させてあげていると自信を持って言える、認識してもらえるような処遇は皆んなで心掛けなければならないと考えています。
原点をふり返って
私が天草苓北の地に療育園を設立しようと考え出した頃といえば、ヨーロッパから広がったノーマライゼーションの思想が日本でもようやく知られるようになった時代でした。それはデンマークの話ですが、子供を施設に入所させているある母親から「どうして自分の子供は人里はなれた淋しい場所にある施設で暮らさなければならないのか。何かおかしいのではないか。障がいのある人もそうでない人も子供もお年寄りも共に暮らす社会こそがノーマルな社会ではないか」という問い掛けでした。しかしこの発想は高度経済成長時代の日本ではあまり大きく取り上げられませんでした。やがて発展も一段落し、財政的に厳しくなりだした頃よりこの言葉が施設を整備しない言い訳みたいに使われ始めだしたようです。
当時、重症児施設は十八歳未満の人を入所さす条件で設立され、大人の施設は別途建築するというのが政策でした。ところが財政上の理由から中止になり、児施設に「者」を加えることでお茶を濁された思い出もあります。
話は脇道に逸れてしまいましたが、それでも施設を設立しようと考えたのは、障がいを背負った子供をもつ親の多くの方がそうでしょうが、私も若し自分がいなくなった後、この子はどう生きて行くのかという不安からでした。そして今日本中を広く見渡してみると、重症児施設の生い立ちが私の場合と同様のものが実に多くありました。
一貫グループの見直し
社会医療法人である稲穂会と社会福祉法人の慈永会はいずれも医療・福祉といった業務を公益性をもって行う組織です。そして既に各々は地域の社会資源の一つとして存在しています。しかし相方は同じようであっても、基本的に大きな違いがあります。一方は医療が中心であるのに対し、もう一方は児童と障がいを中心に据えなければなりません。
私は以前、この二つの法人を経営するのにグループ結成の必要を感じ、それを「一貫」と名付けました。一貫とした理由はいくつかあります。例えば「吾が道一以て之れを貫く、一とは忠恕なり」という孔子の言葉や「この世と来世は綱である」という死生一条の考え方です。仏教ではそれを一貫と言うそうです。
重い障害を背負って生まれた人々にとってこの世はあまりにも苛酷です。せめて来世が必要というのが私の考え方でもあり、その他諸々の思いを込めたものです。
軌道修正
本年は沖縄復帰五十年及び日中国交恢復(かいふく)五十年という記念すべき年ですが、事態は何やら間違った方向に進んでいるように思えてなりません。
最近複数の政府関係者や勇ましい識者といわれる方々から「台湾有事は日本有事である」との発言があったり、昨年暮れの新聞一面には南西諸島の新たな基地構想が発表されたりと戦争を知らない世代の政治家や識者まがいの方達の発言が相次いでいます。
人間が行う愚かさの中で最たるものが戦争です。戦争を始めると人間は理性を失って狂人となります。心すべきです。
皆さん本年も宜しく。
社会福祉法人慈永会理事長
永野 義孝
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