慈永会について
431号 発進塔:講演会考
掲載日:2018年11月20日
創業50周年を迎え、これまで両法人の経営理念に共感し業務の遂行に協力頂いている職員の皆さんに何らかのお返しをしたいという思いから諸々の行事や催しを計画し、現在実施に移している所である。そんな中に3度の講演会を開催することとした。
第1回は、法話の為に国内を東奔西走していらっしゃる地元御領の芳證寺ご住職で曹洞宗熊本県宗務長の村上和光氏による「命」に関する話であった。講演の後には三重県の若手お坊さんによる太鼓の演奏を披露頂き、参加者に大きな感動を与えて頂いた。
2回目は先日(11日)に行った。藤原正彦氏に人としての「生き方」についてお話を頂いた。先生はやっと一歳を迎えた頃、満州で終戦を迎えられ、お母さんと4歳の兄、生まれたばかりの妹の4人で混乱の中を命からがら引き揚げて来られたことを作品で読んで承知していたので、当時の状況をも踏まえて自己紹介頂きたいと申し入れていた。快く引き受けて頂いた次第であった。
戦後70年を過ぎ、戦争の悲惨さを知らない世代が多くなっている今日、平和について示唆を与えて頂いた話でもあった。私は後方の座席でお話を拝聴していたが、皆さんは熱心に耳を傾けている様子が窺えた。講演のあと数名の職員に感想を聞いてみると、異口同音に日本人であることに誇りを持ったとか、自分に自信が持てるようになったと答えていたのが印象的であった。
職員向けの講演会であり、知り合いに少し声掛けした程度の参加者であったが、後日自分も話を聴きたかったという多くの声を耳にしている。なお講演後の雑談で、グループ名の「一貫」とは儒教のそれかという問いがあった。藤原先生は数学者であるのに流石、何でも詳しい方だと思いつつ、ふと、私は最近入職した職員に対して、グループ名を「一貫」としていることについて詳しく説明することを失念していたのに気付いた。
一貫とは
グループ名を「一貫」としたのには2つの理由があった。1つは「我が道、一以て之れを貫く」という論語にある孔子の言葉である。孔子には三千人以上の弟子がいたと言われているが高弟の曾子が孔子に「先生が生涯貫き通したものは一体何ですか」と質問した時の返事である。さらに一とは何かと問われ忠恕なりと述べたとされている。忠恕とは真心からの思いやりの意である。これを半分拝借したのであった。あとの半分は以下の通りである。
私は死生一条という自己流の勝手な死生観を持っている。人は亡くなったら魂・魄に分かれるが、魂は永遠に存在するという考えである。いや正直に言うと、そう信じたいだけかも知れない。しかしこの死生一条という考え方を仏教では一貫という。
現在の一貫グループは、共同体的な色彩が強すぎて各々が独立した存在であるという認識が薄れて来ていると思う。勿論それが良い面もあるのだが、私を含め、特に事務系職員の中にはお互いに礼を失する事例も見受けられる。「礼を怠れば、政を失う」という言葉もある。転ばぬ先の杖を考えておかねばならぬ。今後を外交関係に例えれば、日本と米国の関係ではなく、日本と台湾のそれが望ましいのかも知れない。諸君も、もう一度職員規範(礼節・規律・品格)とは何であるかを考えてみて欲しい。
一貫グループ会長
永野 義孝
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