慈永会について
435号 発進塔:考えよう
掲載日:2019年07月10日
物事について深く思考・思案することを奨める積りでつけた表題ではない。むしろ大雑把に「ものは考えよう」といったときに使う言葉と考えて頂きたい。要するに、時と場合によっては見方・考え方の立ち位置を変えて、物事を見てみようと言う意味合いである。
数年前になるが、梅雨の晴れ間の土曜午後に天草慈恵病院の食堂(アマランス)でのんびりとタバコを燻らしていた時のことである。海側のテーブルに一人で坐って俯き加減に沖を眺め続けている普段は見かけない「心痛」な趣きの青年がいることに気付いた。青年といっても年の頃は40歳前後に見えた。何かしら深刻な悩みでもあるようだし、ついつい少し心配してやろうかと私は声を掛けた。「心配」とは心を配ること、つまり思いやりである。
私が「どうかしましたか」と声を掛けるとびっくりした様子であったが、彼も徐々に話し出した。自分は東京在住の内科医師で当院が医師募集していると知り、どんな病院で、自然環境や住環境はどんな所なのか、職員住宅状況はどうか等々自身で確かめたいので訪ねて来たということであった。私がどんな印象を受けたか問うとぜひ勤務したいので早急に引っ越して来たいと言い出した。
そもそもどうして天草で働きたいと考えたのか。しかもつい数分前までは深刻な様子であったがと話を向けると、彼は今、自分では解決できそうにない重大な問題を抱え込んでいて、一刻も早く、そこから抜け出したい、遠くへ逃れたいという本音を話してくれた。私が厄介な問題を幾つ抱え込んでいるのかと問うと、勿論1つだけであり、逃げて解決できない事も承知していた。安易に一時避難の積りらしかった。
そこで私は、彼が今考えているのとは別の考え方を示してやらねばならないし、それには私自身が体験したものを生かしたがいいと考え、次のような話をした。
私は重大な局面に向き合ったとき、こう考えるようにしている。「ついこの前まで自分ではどうしても解決出来そうにない難題を3つ抱え込んでいた。それを苦労してやっと2つだけは解決する事が出来た。残ってるのは1つだけになった、と考えてみる。随分気が楽になると思う。人間努力すれば解決できない難題なんて、そうそうはない。そして解決するには、まずその問題を受け入れることから始めなければならない。逃れては問題の先送りになり、利息が追加されて更に大きくなるよ」と話した。
私が3つの難題を抱えたのは、1974年のことだった。療育園を開設して間もない頃の話で、経営上の問題・オイルショック・自分の心臓発作という三重苦が同時に生じた。しかし周りの協力も得て、無事に治めた。おかげでそれ以来、何事が起こってもあまり驚いたり慌てたりしないようになった。勿論その時の心境も話した。そして自分なりに努力をしたら、あとは「人間万事塞翁が馬」である、と付け加えた。
2時間以上話をしたと思うが、彼は明るい表情になり、「判りました。自分も逃げ出そうとせず、頑張ってみます」と深々と頭を下げて帰って行った。その後、彼がどうなったかは知る由もない。
繰り返しになるが、人が大事な決断をするには、今の自身の立ち位置からだけで現象を捉えるのではなく、異なった視点にはどう映っているかを想像してから判断するようにしては如何だろうか。
一貫グループ会長
永野 義孝
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